『癒しは「グンナイ」から始まった』SE™️モニターセッションご感想(50代・双極性障害・女性)

癒しは「グンナイ」から始まった

高木ゆうすけ先生は、スキンヘッド。なうえに色白で、目元涼しく穏やかな笑顔、菜食主義かなって思うスレンダーさで、一見お坊さんのよう。

なんだけど、そのお顔の鼻下にはチョビヒゲっぽく見えるそれがあって、たいていアウトドアな原色Tシャツを着ていたりして、いでたちはまるでお坊さんじゃない。

オンラインのバックの壁紙もまっ青な空に子どもが天を指差す黒い陰影。なんだかいろんな要素がミックスされ、まるで先生がどんな人か、タイプがつかめない。しかし、それがゆうすけ先生の軽やかなねらい、いや意識的に自由なノンスタイルなんじゃなかろうかと私は推測している。それは、クライアントにとても重要な安心のイメージだと思う。つまり、セッションは肩ひじはらずに「なんでもありでよさそうだ」と構えられるからだ。

カウンセリングを受けたことが3度ある。

一度めは、何冊も本を出している男性有名カウンセラーさんだったけれど、「あなたの精神分析には週3通ってもらって3年かかります」と言われ、途方に暮れてすぐにやめた。2回めも有名カウンセリングセンターのベテランカウンセラーさんで、とても良心的に話を聞いてくださり、「人生を六割で満点と思って生きたらどうですか」と諭され、それで話し尽きた感じがして終わった。

三度めは長く続いたけど、話せば話すほど、私のもつれにもつれた人生をほぐせる日が来るのかと思うと、深いため息が出て、足が遠のいてしまった。つまり、共通しているのは、話で私に変化や快方への兆しが生まれたことはなかったということだ。「六割満点」は救われた気がしたけど、実際の自分はそうは生きれなかったし、空に浮いた雲みたいに届かない言葉のまま身につかなかった。

自分のことを、わかってもらえるように話すって、難しい。困っているから、言いたいことがあるから、苦しくて仕方ないから、生きれないから話すのだけど、話すって、力がいる。なんとかこの苦しさや困り加減を話さなきゃいけないと思うと、頭でこねくり回し、生パスタ製造機のようなものをグルグル回して出してみるんだけど、出てきたものを眺めると、自分のことじゃないような気がすることもある。うつの時は、ぐるぐる回すこと自体が無理に感じたり、ああ、回して話さなきゃと緊張したし、疲れた。もちろん、長い時間胸につかえていたものをスポッと吐き出したような瞬間もあったが。ただ、とにかく、話すこと、対面して話すことだけで解決するのは、何か不自由で、自分の背面半分が欠けていて全体じゃないへんな気分で、たとえば大きな箱の二角にカウンセラーと2人で動くことなく膝を抱えて座り続けているような不自然さを感じた。

それでも、言葉が出て、話せたら、まだマシだった。

話すこと、言葉にするときに、私たちは起きた経験をいろんなふうに変換する。さっきのたとえばパスタ製造機みたいなものに入れて。で、変換できたから言葉になり、話している。けれど、実は人生の多くのことや本当のことは言葉にできず、話せず、その前にたくさん忘れていて、記憶を歪めていて、閉じ込めていて、未消化で、曖昧で、その姿形の見えないもの、例えばそれが恐怖や不安となって怯えて生きているはずなのに、言葉ありきでは、恐怖を伝えるハシゴがみつからない。特に、幼少期の記憶、身体、心はそんなものに溢れているはずなのに。

ゆうすけ先生とのセッションは、2023年の9月22日に始まり、それから4か月、毎週セッションは繰り返されている。

私は、医学的には双極性障害で、今は10年に及ぶ鬱期で、その間にフル回転に頭を使っていた仕事をほぼやめて、手を使って人の体を温かくほぐしたりする仕事にありついた。でも、疲れやすいからあまり仕事もしない。疲れたら寝る。そんな生活だけど、16歳の認知症の老犬を介護したりして、ラクなのかハードなのかわからない生活だ。

そんな無理をあまりしないストレスがあまりない日々なのに、疲れることが多く、エネルギーを何かにとられてるような気がして、このままじゃほんとにねたきりになりそうだし、24時間近く歯軋りをしているためにエナメル質が絶滅しそうになっているので、友人にSEを勧められた。

ゆうすけ先生のセッションを受けたのは、ヨガをしている先生のポーズがへんで、にこやかな笑顔なんてのじゃなく、なんでこんな写真使うんだろうと少し面白いと思ったのと、先生自身が当事者だと書いてあったからだ。加えてキャンペーンをやっていたからだけど、今思えば、キャンペーンに乗ってほんとによかったと思う。

毎回、ゆうすけ先生と話すことを、体の感じ、あー、と思って書き記すこと、それも、58歳がこの字かと思うようなメチャクチャな子どものような字が並んでいるのだけど、それはたぶん、絵のように、私はゆうすけ先生の言葉をリラックスして感じとって描いているんだと思う。

たとえば、

それでいいんだよ~

リラックスしていいんだ~

スロ~ダウ~ン~

いい感じを味わって~

無理しないで〜、

気持ちいいと無理の境界線を見つけよう

とかいう言葉が、私の問いかけたトラウマの謎解きとともに羅列して書き込まれている。

赤ちゃんだった頃の私が、2、3ヶ月も預けられて父母から離れていた経験は、大人の私は、妹が生まれたから仕方ないと思っていたけれど、

「それは、あなた(ゆうすけ先生はわたしの名前で問いかける)にとっては、父母に捨てられたことを意味して、神経はそう捉え、記憶しているはずです」と言われたとき、私はエッと驚いた。「私は捨てられていたんだ、あのとき」と他人事と自分事の中間地点で、いろんなことが結ばれ、何かがほどけた気持ちがした。

自分がなぜ過剰に元気で明るそうに振る舞い、人にやたらよくしたりするのに、実は人間関係にいつも緊張し、つまづくと修復できず、自分とひとの境界線が引けずに気にし過ぎたり、人との間にはいつもよくないことが起こると思ってすぐに離れたりする、その理由が、捨てられたという事実によってわかった。

長い人生のよく似たことをおぼろに思い出している私に、ゆうすけ先生が、ゆっくり聞く。

「今、体の感じはどうですか?」

すぐには言えない。

「いいですよ、じゅうぶん、時間も、自分の体を自由に動かすスペースもとって、体を感じて」

私はやっと、胸の緊張がだんだん和らぎ、肩の力が抜け、少し足の裏が床についているなと感じたりして、それを伝える。

「ああ、いいですねー」

ゆうすけ先生は決して否定しない。また本当には思っていないことも言わない。

私の肩が上がって、大きな息が入る。

吐き出す。

少しお腹が温かく感じる。

なんだかヤジロベエみたいに上体が揺れたくなる。あくびが出そうになって手で抑える。

「いいですよ。体の自然な反応なんで。そのままで」

そんななか、理由があれど、親に一時的に捨てられたという体験を経て、私の神経系は、必死に生き残りの戦略を実行してきたんだと先生が言う。

「神経は、必ずあなたを生きさせようとしますから」

私はこのとき、私の根幹に関わるトラウマとの再交渉を叶えたのだった。

ひとりで生きられない子どもが親に守られなかった時間があったことは、世界を安全だと捉え、安心のなかで生きることを叶えさせない。

「いつ、また」と思い、緊張しながら、捨てられない価値と評価を自分で作り出そうと必死だったのかもしれない。

交感神経の過緊張に次ぐ省エネモードが双極の実体で、腹側迷走神経の活性が弱いため、背側迷走神経が司る消化器系の動きが弱く、過敏性大腸症候群につながった。

てな、話はきっとたくさんあるのだろう。

トラウマのないひとはいないのだから。

そんな「そういえば」と頭の中に浮かんだ話を、私は時系列など関係なく、話す。すると、ゆうすけ先生は必ず、的確に、ちょうどいい言葉数と内容と柔らかな口調(これを当意即妙って言うのかなあ)で、でもストレートに説明してくれる。饒舌にはけっしてならず、また私がわからないのに放っておくこともせず。だから、置いてきぼりにもならないし、「ま、いいか」と閉じたり傷つついたりしない。そういう話をしたあとの私の表情や体を、ゆうすけ先生はとても慎重に冷静に見ていてくれるからだ。それが、SEで一番大事なことのようだ。

「体はどんな感じですか?」

「時間をかけて、体にスペースを渡して、ゆっくり、したいように。体のやりたいように。貧乏ゆすりも、なんでも、やりたいように。選択権はあなたと体にある」

そう言われるうちに、私は画面越しに先生がいても、あくびをしたり、深く呼吸したり、ゆらゆら揺れたり、足を踏んだりするようになった。ある時は、踊ったりもした。スッキリ爽快なだけでなく、自分がそんなこともできるんだと驚いた。

そして、顔がほあと熱くなったり、手足が温かくなったり、胸が楽になったり、眠りそうになったりした。

交感神経が過緊張になりそうになると、ブレーキを踏む役割の腹側迷走神経を活性化する簡単な体のワークをオンタイムに勧めてくれたりもする。

「固ってきた脳と反対の脳、大丈夫な脳に意識を移してみたら?」とか

「耳タブを触ってみて」とか「口の中で舌を動かして」とか。

すると、不思議に体は別の方向に向き始める。自律神経の波が整う。魔法のようだ。

そんなヒントを日々の生活でもやってみて、週の半分くらいは「あら、自分でうまく運転できてるじゃん」と思えるようになってきた。

しかし、今回、ノートを繰ってみると、決して、右肩上がりの直線なんかじゃなかったことがわかった。消えたいと大きく書いてあり、それに、つらいよねー、大変だねーと自分に言ってあげるー、とゆうすけ先生のアドバイスが書いてあったりする。セッションの次の日は、だるくもなる。「神経系が最配列しているからですよ」と先生は言う。

それでも、今の私は、毎週、必ず私の感覚と体に向き合ってくださり、謎解きとヒントをくださり、肯定してくださり、「また来週」と川辺を伴走してくださる、そんな親友をみつけた気がしている。安心している。心も体も安らいでいる。それが、毎日の身心に少しずつ変化をもたらしている。そして、自分の今までを悲しく見ないようになってきている。私は嵐のような時間も生き残り、私の神経は、私を生きさせてくれた絶対の味方だったんだと思い直せるようになった。

いやいや、そんなうまくはいかないかもしれない。

でも、私はゆうすけ先生の言葉に、そんなに長くはないだろう人生の後半に期待を抱きそうになっている。

「トラウマとの再交渉(向き合い、解消すること)は、マイナスからゼロにすることじゃなく、マイナスから10にも100にもするということなんですよ」

私たちは身体という叡智を持っている、と先生は言う。

私はゆうすけ先生と、私という体を信じて、本当の自分というものをみつけに、もう少し旅をしたいと思う。

そう言えば、シャーマンとかグルって、それっぽいひとはたいていにせものでしょ?

ゆうすけ先生は、最初言ったように全然それっぽくない。

それに。

セッション終了のとき、なんとも人を緩ませる笑顔で「グンナイ」なんて、グルは言わないもの。

と、私は2回目くらいから、ゆうすけ先生はグルでもなんでもない、モノホンだと思ってました。実は。

(50代・双極性障害・女性)

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