
先日、20年以上薬物を経っている依存症の方にお会いする機会があった。
薬物がらみで刑務所に行き、そこでキリスト教と出会ったそうで、
今でも熱心に礼拝に通い、好きな音楽は讃美歌という筋金入りのクリスチャンでした。
お薬をやっていた方なので見た目はイカつくてコワモテで。
長年薬物を断っていることもすごいのだけれど、
その人の醸し出す雰囲気がとてもまろやかで。
依存症は否認の病と言われているけれど。
その方は否認をするものは何にもないような。
全てを投げ出し、神に身を委ねているかのようで。
お顔の表情がとても柔らかく、腰も低く。
ポリヴェーガル的には腹側迷走神経が優位な状態というか。
否認していることを否定したり、明け渡しを口にするのは簡単で。
そんな状態でも断酒や断薬を長らく続けているだけで十分素晴らしいのだけれど。
醸し出す雰囲気で依存症の仲間に癒しをもたらすお姿は
素晴らしいプレゼンスだと感じました。
まさしくセラピューティック・プレゼンスですね。
トラウマセラピストとして私はとても勉強になりました。
セラピーによって変わることを決意することも
一種の明け渡しに近い行為なのかなと感じることが多い今日この頃です。
今まで自分を守ってくれていた防衛反応や思考のクセを変えることは、
動物にとっては大きなリスクを伴うことです。
けれどダーウィンの進化論が示すように
リスクを犯すことによって進化を獲得し、
生存を有利にすることができます。
この、変化のための第一歩は清水の舞台から飛び降りるような、明け渡しのような、
そんな決意が必要だと思います。
決意を持って私の前に来てくださる方に、
私の胸はいつも感謝で一杯になります。

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