
落ち込んでいる時や
嫌なことばかりが続いた時や
何をやってもうまくいかない時に
世界が全て敵に思えたことがありませんか。
そんな時1%の余白が役に立つかもしれません。
私もそんな時期を長らく世界を敵として過ごしてきました。
先の見えないトンネルをひたすら歩き続けるような感覚で
希望を抱くなど罪深く思えたものでした。
先日レミオロメンの「3月9日」を聴いていたら
何気ない日常の素敵な風景を歌い上げる歌詞に
世界が敵でないって素晴らしいな、と
うっすら涙しました。
SE™︎セッションをしていると
困難な時でも友人や恩師がいたり
寄り添ってるくれペットがいたり
道端のお花が凛と迎えてくれたり
ふと見上げた空の雲が微笑んでいたりなど
ちょっとした日常の美しさがあったことを思い出すことがあります。
いわゆる日常のリソースってやつですね。
でも当時は脳の扁桃体が「大変だ!」と警報を鳴らすので
気づかないのも仕方ないものです。
闘争・逃走モードの時には
危険を探すことに躍起になっているので
ちょっとした安全も見過ごされてしまうのも無理もありません。
以前のブログで共感する人がいてくれる重要性に触れたのですが
深い共感とは言わずとも思いを共有するだけでも心が晴れることがあります。
2ヶ月ほど前、いつもの電車に乗り込んだ時のこと
明らかに漫才の練習をしているかのように
人を笑わせる顔と動きをしている方がいらっしゃいました。周囲の人たちは「笑ってはいけない」かのようにスルーしていたのですが私は
隣り合わせた見ず知らずの人と車内で腹を抱えて笑い合いました。
共感もポリヴェーガル的には社会交流システムの腹側迷走神経ですね。
そこに一期一会の儚さ、美しさも相まって
数日間はそのことを思い返すと胸がポカポカしました。
このようなケースは珍しいかもしれませんが
スポーツチームを応援したり、
お笑いのや歌手のライブに行くなどで
他者と思いを共有することもできます。
高校野球など地域密着のものはコスパが良いかもしれません。
勿論、何気ない日常から美しさや癒しを再発見するのもアリです。
1%でも
頭と身体に余白を作ってみて、
その余白に「世界は自分に開いている」
という思いを入れてみるのはいかがでしょうか。
そして世界を探索するのはいかがでしょうか。
ひょんなところで
日常のリソースに触れることができるかもしれません。

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