内面化された規範、それは両刃の剣

人間は社会的な生き物なので生存するために社会の規範を尊重します。
けれど時間が経つにつれて内面化した規範が時代遅れになることもあります。
そこで何が起こるかというと社会は変化に合わせて規範をアップデートしているのに、個人が内面化した規範をアップデートできないという事態が起こりえます。

分かりやすい例が昭和的な規範でしょうか。
体罰やしごき、サービス残業、夫婦間の諍い。
かつては容認・黙認されていたものが暴力やハラスメントとして近年は広く社会に認識されているのにも関わらず、昭和体質が抜けない人によって起こされるニュースを少なからず目にします。

クライアントさんやヨガクラスでの分かち合いで色々なお話を聞かせてもらうのですが、先ほど挙げた内面化した社会規範がその人を縛り付けているケースをよく耳にします。
男は負けちゃダメだ。
女は控えめでないといけない。
日本人だから….
というような社会文化的な規範を内面化しているケースです。

トラウマのカテゴリーでは社会的トラウマに分類されます。

その人に悪気など微塵もない場合もあります。
むしろ誇りに思ってらっしゃる方さえいるかもしれません。

時代を生き抜くために内面化し、それが最良だと信じていたのに。

それが古くなったソフトウェアのように適応できないものとなり。

かつては生きる原動力にさえなっていた規範がその不合理性によって牙を剥き出しにします。

巡り巡ってその規範を内面化した自分自身の首を絞め、生きづらさの原因となるのです。

そのようなお話を聞くたびに私は胸が締め付けられます。
あなたは悪くないよと言って、ハグをしたくさえなりますが、そこはバウンダリーを尊重してグッとこらえます。

この社会規範ですが、必ずしも個人の幸福を最大限に追求したものではないことがあります。
その社会のため、今まで継続してきた社会に歪みが入らないように、と言ったように、社会を優先していることもあります。
特に民主主義や基本的人権といった理念が社会や個人に浸透する前の時代は歴史的に社会を優先とした国々が大多数でした。
今とは正反対の理念なので、その考えがアメリカによって再び導入された戦後の日本社会でも、広く社会に浸透するまで時間がかかり、いわゆる昭和的なものが戦後長らく蔓延ってしまったのでしょう。

内面化された規範を変えるのは簡単なことではありません。
生きづらさの原因となってるといえども、その人を「いま・この時点」まで生き延びさせたことは疑いようのない事実です。
動物にとって何よりの目的は「生き延びること」です。
その目的を今まで達成しているにも関わらず規範の変更という、言わばシステムを変更することはリスクを伴うことなのです。
もし失敗してしまったら、今の生活が脅かされたら、と。
得をするより損失を回避する人間の心理、「損失回避の法則」というものもあります。
これも種の保存という本能的なものなのかもしれません。

けれど、当時は生き残りに適していたかもしれない規範も時代と規範そのものの変化とともに、個人に内面化された規範もアップデートが必要となってきます。

SE™︎セッションでは身体感覚を主としてイメージや身体の動きなどを使って規範という個人の信念を変えていきます。

アタマの中で凝り固まった信念をアタマで変容させることは容易なことではありません。

カラダからアプローチすることによってをアタマをほぐし、変容させることができるのです。

お心当たりの方はお一人で悩まず、まずはご相談ください。

コメント