
皆さんの中に「あんな親にはなりたくない」、と子どもの頃に固く誓ったのに、大人になったら似てしまった、という経験をお持ちの方はいらっしゃいませんか。
かく言う私も以前はそうでした。
もしからしたらそれはレガシートラウマが関係しているかもしれません。
レガシートラウマとはトラウマが世代を跨いで受け継がれることを言います。戦争や貧困、差別や自然災害など外的要因の他に、家族内や小さなコミュニティなどの閉鎖的な空間内で起こることがあります。
私が提供しているSE™︎(ソマティック・エクスペリエンシング®︎)でも創始者のピーター・ラヴィーン博士が言及しています。
日本ではトラウマの世代間連鎖という形で紹介されていることが多いですね。
先ほどの例では、似るという行動様式を、単に性格ではなく神経系の反応として捉えています。
様々な反応の裏に共通したトラウマがあり、それが世代を跨いで受け継がれたのがレガシートラウマと言えます。
無意識なので本人は自覚していません。
私自身、父親がアルコール依存症なので私や息子に依存症が世代間で連鎖することに怯えていたので、このレガシートラウマはとても身近に感じます。
厳密に言うと、依存症の背景となったトラウマが連鎖して自分も依存症になってしまうことに怯えていました。
自分を超えた要因が自分自身に危害を加えることを恐ろしさを感じ、呪ったことさえもあります。
けれど。
閉じられた空間、ことに家族という極めて閉鎖的な空間で長年過ごすと受け継ぎたくないものも受け継ぐのも当然と言えば当然ですよね。
価値観であったり、思考の癖だったり、感情の表出の仕方だったり、遺伝的なレベルを超えてそれらのことをインストールするのでしょう。
神経系は可塑性があるので、子どもの神経系が親の神経系にチューニングすると言えます。
子どもにとっては自分の生存が養育者に委ねられていることを鑑みると、親の神経系を否定するのではなく肯定するのは生物学的にも理にかなっています。
神経系に可塑性があることで、世代を跨いで連鎖してきたものを逆に手放して変容することができるのは救いです。
レガシートラウマを扱う上で大事なことは自分に起こっていることや、家族や社会の歴史をありのままに受け入れることです。
この「ありのままで受け入れる」というのは言うは易く行うは難しですよね。
トラウマが由来している根源の出来事を否認したり見誤ってしまうと、変わろうとする動機づけも起こらないからです。
変化は現状を認めること、言い換えると変わろうとする自分の現在の地平を認めることでで始まります。
誰だって自分に都合の悪いことは否認したり、見て見ぬふりをしがちだからです。
神経系的に起こったことすら認識しない忘却すら起こり得ます。
これらは防衛反応なので致し方ないのですが、この辺りがレガシートラウマを癒しの軌道に乗せる難しさだと思ってます。
忘却については改めて別の機会に記したいと思ってます。

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