あれはもう10年以上前になるのか。
私のパートナーのにのみやさをりは性暴力のサバイバーを公言して、現在は性犯罪加害者と対話をする活動も行っている。
私が出会った頃の彼女は今よりもずっと不安定だった。当時の私はトラウマというものに対する知識をほぼ持ち合わせていなかったので、フラッシュバックに苦しむ姿を見て平静を保っているように努めていただけで、心底困惑していた。
特に驚いたのは彼女の解離だった。ジェットコースターのように人格が突如変わる様には正直、戸惑った。底知れぬ恐ろしさを抱いたと言っても過言ではなかったかもしれない。
見てはいけないものを見てしまったと言う感覚と同時に、なぜかその、人格交代をもたらす「トラウマ」というものに強烈に惹かれたのを覚えている。そこに人間の根源があるような直感が、自分にはあったように思う。
(余談となるが、SE™︎トレーニングの講師だったラエルは「トラウマは誘惑的」と言っていた)
今でこそヨガやマインドフルネスを実践し、SE™︎を学び、IFSのパーツの概念にも親しんだので、解離も意識やパーツの一つとすんなり受け入れることができるけれど、当時の私にとって目の前で解離している人は、小説やテレビの世界の人のようだった。
目の前にいる人のなかで起こっていることは理解できない、でも人を人として接すること、それだけはを心掛けたのをぼんやりと覚えている。ジャッジをしないで、ただ目の前に現れた人格と接する感じ、と言えばいいだろうか。こうしたフラットな態度のおかげか、交代する人格とのコミュニケーションも一人、また一人とできるようになった。
この姿勢はいま自分がSE™︎セッションをする際にも通底している気がする。
好奇心が旺盛だったと言うこともあるけれど、構造ないしメカニズムをある程度把握すれば怖くない、大丈夫、という私の心理も多分に作用していたように思う。
それにしても、性暴力が被害者に及ぼす影響は甚大ということを、自分は彼女の隣にいて肌で感じた。
「性被害は魂の殺人」なんて言葉があるけれど、パートナーが被害に遭ったのは20年以上前のこと。結婚してから10年以上が経っているが、未だに過覚醒と低覚醒を繰り返し、フラッシュバックで苦しんでいる。希死念慮はだいぶ減ったようだが、記念日反応も相変わらず数週間前からあって倒れ込んでいることがあり、人混みは苦手で、映画や車の運転の際は私の隣で低覚醒となって寝てしまうことが多い。被害の影響で寝床で寝るのが苦手で、寝ている時に緊張しているせいか常に身体が強張っている。身体的な影響の他にも、デフォルトが警戒モードなので新しいことや予測できないことには及び腰になってしまう、そのため行動範囲や未来への選択肢が制限されてしまい、畢竟それはそのまま家族のイベントにも反映される。
彼女が被っている長年の辛苦がいかほどか、はかり知ることはできない。
なぜ自分だったのか、なぜ生きているのか、なぜ生まれてきたのか、答えが出てこない問いを何回も何年も問い続けてきたことは、彼女の傷だらけの両腕に垣間見ることができる。
私ができることはただ、隣に在ることだけだ。
SE™︎を学び始めたのも、今思うと彼女のことを理解したい、少しでも癒したいという思いからだったように思う。
SE™︎を通じて協働調整ができることを学んだので、なるべく自分が腹側迷走神経が優位な状況にいるよう努めている。そして彼女に家で少しでも安心・安全を感じてもらい、警戒状態を解除して一時の休息をもたらすことができればと思っている。
パートナーとなってからずいぶんと月日が流れ、関係性の当事者となったため、彼女にSE™︎セッションを提供するのは難しいのが口惜しい。
改めて振り返ると、パートナーとの出会いは、それまで全く想像もしていなかった道に自分を誘う結果となった。図らずもその旅路は、人間の暗澹たる深淵に潜り込むことにもなった。しかし、SE™︎によって、この深淵はまったくの暗闇ではないのだということを知ることにもつながった。トラウマは出来事のなかにあるのではなく、神経系のなかにあるのだ。
私はかつてのように、パートナーがフラッシュバックで苦しむ姿を呆然と眺めるしか術がない無力な人間ではもうない。少なくとも今は、つかずはなれず、彼女をサポートすることができる。
そんな、人間が生まれながらにして持つトラウマを癒す叡智とレジリエンスを、ぜひ、ひとりでも多くの方々にお伝えしたい。
私たちの歩く道を照らす光は、確かに在る、と。