「陰」にこそ神秘が宿る。
初めてIYCみか先生の陰ヨガクラスを受けた時にそう直感しました。
それまでは「陰」というと、どうしてもネガティブなイメージがつきまとっていました。
「陽でありたい」という自分の願望が邪魔をしていたのかもしれません。または「陰」の世界に身を置くとズブズブ入り込んで戻って来れなくなるという恐れもあったかもしれません。
けれどクラスで体験した「陰」の世界はとても神秘的で静謐でした。自分が初めて「陰」の世界に身を寄せた、いや身を潜めることができた、と言う表現が正しいかもしれません。
思い返すと子どもの時から落ち着きのない子で、ヨガもアシュタンガヨガから入った典型的な陽タイプの人間でした。それはある意味、「動いていると落ち着く」ということを意味し、「動いてないと不安」ということも意味していたような気がします。
けれどみか先生の誘導によって安心・安全を心底感じることができたことも寄与して、その日、私は「陰の世界」に安住することができ、静寂という神秘に触れることができました。
この静寂、自律神経的には腹側迷走神経と背側迷走神経のブレンドの状態だと思いますが、ここまで深い神経系の状態は今まで体験したことがないものでした。
(ちなみの「動く瞑想」と言われているアシュタンガヨガでの神経系の状態は交感神経と腹側迷走神経のブレンドの状態で、深い瞑想感を得ることができるけれど毛並みは全く別物だと思います)
上記の神秘的な体験の他に、陰ヨガが持つセラピーとしての可能性にも大いに惹かれました。
まずは広く知られているところでありますが、経絡をベースにしているため、ポーズによって経絡の気血の流れがよくなり、心身の不調の改善が見込めることが挙げられます。経絡ベースのセラピーはTFTやBCTなどがあるので、心身への効果は疑問の余地はないと思われます。
2つ目はマインドフルネスの要素です。座って行うマインドフルネスではついつい思考や想念などアタマで行いがちになってしまいますが、陰ヨガの場合は身体の伸展・収縮、圧迫などの身体感覚に意識が向くので、身体に根差したマインドフルネスとなると実感しています。(個人的にはマインドフルになることはセルフを強化することに繋がると思ってます)
3つ目はセルフコンパッションやグラウンディングといったセラピーにおいて大事な要素を身体化できる点です。セルフコンパッションは少なくない人が難しさを感じている要素だと思っています。(かく言う私も苦手でした….)セルフコンパッションができないのは「内なる批判者」がいてアタマで認めることができない場合か、そもそも身体が拒絶をしている場合の2つのパターンがあると思いますが、不思議なもので陰ヨガで深層の筋肉を伸ばしてほぐしているの「内なる批判者」が意識から遠のき、身体もふとした瞬間に自らを受容する瞬間が訪れることがあります。
グラウンディングに関しては実感したことがない人には身体化できますし、日や時間によって皆それぞれ程度の差が異なると思うので、ちょっと浮き足立ってる、なんて場合には再確認もできるのでとても有効だと思います。
4つ目はトラウマインフォームドな雰囲気です。陰ヨガでは骨格や柔軟性の個人差を尊重して、各人が無理のないポーズを取るようにガイダンスするのが特徴となっています。また陰ヨガではストレスがかからないようにするため、安心・安全な空間となることに極力配慮することを努めます。これは陰ヨガの始祖と言われているポール・グリリー氏から脈々と伝わっている伝統なのでしょうが、陰ヨガがベースとしている道教の思想も色濃く反映されているのも、トラウマインフォームドたる所以だと思っています。
そして最後は私が行っているトラウマ療法であるソマティック・エクスペリエンシング®︎(SE™︎)と親和性があることです。
SE™︎ではSIBAM(Sensation=感覚、Image=イメージ、Behabior=行動、Affect=情動、Meaning=意味)という各要素の切り離しや結びつきをセッションで行うのですが、陰ヨガでは各々の要素がポーズをとっている間に目まぐるしく駆け巡ることがあるのが醍醐味だと思っています。
以下は私の体験例です。
①自分の弱さを認められないからか、補助具を使うのことに最初は躊躇ってました。頑張ればなんとかなる的な思考。でも身体は十人十色と言われたので思い切ってボルスターに寄りかかると、抱きついて身を委ねる感覚が心地よかった。(感覚、行動、意味の変化)
②ブロックを使用してポーズをとったところ、サポートが心地よかった。そしてふと、と、怪我をして松葉杖をついていた高校時代を思い出す。怪我をしたこと、松葉杖で歩くことに恥の感覚を感じていた。当時は松葉杖でサポートされていると感覚がとてもイヤでした。そして自分はサポートを受けたり、助けを求めるのが比較的苦手だったことを思い出しました。(感覚、イメージ、意味の変化)
③腕を上に上げて胸を開くポーズは自分の急所を曝け出しているようで少々違和感があったのですが、いつしか気にならなくなり心地よく感じることができるようになりました。(感覚、行動、意味の変化)
例えば①では、自分の歪んだ信念(頑張ればなんとなかる) によって寄りかかる行動をしようとすると嫌な感覚になっていたのが、ふとした瞬間に寄りかかって行動を変化させると委ねることを肯定することができ、心地よい感覚が広がりました。
陰ヨガでのポーズは池に投げ込まれる何個かの石のようなものだと思ってます。その石によって形作られた波紋は周囲に広がり、交わることで様々なことが起こる、そんなイメージです。
もちろん、毎回劇的なことが起こる訳ではありませんが、期せずして降りてくるギフトのような、身体の真相に眠っていた内なる声を聴くことができる経験は何事にも変えることができません。
長々と陰ヨガの魅力を書き連ねてしまいましたが、今月からオンラインの陰ヨガクラスを始めるつもりなので、ご興味がある方は続報をお待ちください!一人でも多くに陰ヨガの醍醐味を味わっていただきたいと思ってます。
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